講演記録
◆『少女革命ウテナ』
予告編のような日記を上げてから少し間が空いてしまいましたが、講演レポートのようなものを書くことに致しましょう。
読まれた方の殆どはお気づきでしょうが、少女Revolution=『少女革命ウテナ』
つまり、アニメ『少女革命ウテナ』の監督である、幾原邦彦監督の講演を聞く機会に恵まれました。
『少女革命ウテナ』といえば、個性的な登場人物、様々な演劇的表現、独特の映像表現、印象的な劇音楽、緻密な脚本…魅力を上げ出したらきりが無いほどで、数多くの日本アニメの中でも屈指の一本といえましょう。
勿論、僕の今まで見たアニメの中でも大好きな一本の一つで、思わず前日夜に徹夜をしてTVシリーズを見直したほどです。
さて、序文はこのくらいにして、さっそく講演レポートに入ると致しましょう。
○颯爽と登場 さすがは幾原監督。金髪にジャケットというなんともカジュアルな格好で登場。 俄かにざわついていた会場も、一瞬にして釘付けに。 雑誌のインタビューなどで拝見する監督の姿は、業界人の中でもかなり派手目の格好。 見たときはてっきり雑誌の企画だからと思っていたのですが、格好が派手なのも監督ご自身のスタイルとのこと。 ○東映に入るまで 監督が就職を考えていた1986年。経済はバブル絶頂期でしたが、映像関係だけにしてみれば絶望的状況だったらしいです。 そんな最中、映画の仕事がしたかった監督は、たまたま雑誌で「東映動画・ディレクター採用試験」の記事を発見。 上京したいという理由とも相まって、早速試験を受けることに。そして見事合格。 東映動画(現・東映アニメーション)での、演出助手の道をスタートさせます。 恐らくかなり採用倍率は厳しかったと思われるのですが、監督曰く 「アニメ業界に入る動機はいい加減だった。入ってからも違和感があり、1年か2年かそこらで辞めるかもと思っていた」とのこと。 ○東映での失敗談 学生時代広告業界を学んでおり、実際の現場に出入りしていた監督にしてみれば、 「アニメ業界は、“厳しい”半面“自堕落”で、ヤクザな人、怖い人がいない」 という印象で、監督曰く 「アニメ業界の人を馬鹿にしていて、生意気だった。 その為、最初の3年くらいは仕事をしっかり教えてもらえず、無駄な期間を過ごしてしまった」 とのことでした。 しかしながら、このことで監督は「何かをする際に他人に聞いて教わるのではなく、自分から行っていく」 ということを学んだそうです。そしてこのことは、次の話に繋がりました。 ○食い扶持の稼ぎ方 「最も重要な事は、“どうやって飯を食べていくか”。飯を食べれるのならば、寿司屋でもなんでも構わない」 これだけを聞くと、アニメ業界では飯を食べれないから止めておけ、という話にも聞こえますが、そう単純な話では有りません。 ここで、監督が5年前に講演会で会った人と、アニメの現場で再会した話が挿入されました。 「一番前で、ノートPCで懸命にメモを取っていたから印象に残っていた。 その人と現場で再会し、『一緒に仕事をしたい』と頼まれたので一緒に仕事をしたが、 あまり仕事が出来ず、結局業界を辞めてしまった。」 そして、この話には続きがあり 「最近、その人と「大戸屋」で再び会った時、その人はギャルゲー会社の社長となっていて、聞けば年収は1億円くらいだという」 この話でどういうことが言いたいかというと、監督曰く 「この人には、アニメ業界で働く能力はなかったけど、漫画的なことで“飯を食べる能力”があった」 ということだそうです。 さすがは幾原監督。食い扶持の話とは、なんとも根源的かつ現実的な話でありましょうか。 アニメの監督ということで、幾原監督がする話はきっと映像表現の話だろうという安易な想像が僕の中にあったわけですが、 その想像は良い意味で予想が裏切られました。 そしてこの“飯を食べる能力”の話は、さらに次に続きます。 ○業界での“生き方” 業界での打ち合わせに良く使われるという喫茶店『談話室 滝沢』 続いての話は、ここでの幾原監督の体験談でした。 「打ち合わせをしていたら、気になる集団がいたので耳を傾けてみた。 学生と思しき秋葉系のオタクたち数人を相手に、テキ屋風の中年&スーツの美女が話をしてて、 学生たちがゲーム会社の運営の仕方について、中年のオッサンに相談を受けている。」 話を聞く限り、中年はどうにも怪しい。恐らくは、 『一昔前のAV勧誘と同じ要領で、何も知らないオタクにゲームだけ作らせて、利益だけを搾取する手合い』 だったのだろう。」 監督の描写が面白く、笑いながら話を聞いていましたが、確かに実際にありそうな話ですね。 さらに監督曰く、 「アニメ業界においても、“飯を食べていく智恵”が必要。 その“智恵”が無ければ、ただただ人に使われ、搾取され続けられてしまう。 つまり業界での“生き方”を身に付ける必要がある」 アニメの現場では、人間は使い捨て的に扱われている、という話はよく聞きます。 なればこそ、“生き方”、“飯を食べる能力”が必要になってくるわけですね。 そして、その“生き方”について監督から 「人間は、集団・群れに入ると個人の考え方・生き方は、全然違うものにされてしまう。 では、どうやって良い作品を作ることが出来るか。自分にとってポジティブな方向に向けれるか。 それは、駄目な現場(職場)はさっさと辞めてしまうこと。自分にとってマイナスだと感じたら、別の現場を探すこと。 なぜなら、ディレクターなり、プロデューサーなり、アニメーターなりというのは、“生き方”なのだから」 ディレクター=“生き方”とは、なんとも深いお言葉。 これは恐らく、映像・音楽・漫画的なことを仕事とする“生き方” という意味で言っていたのではないでしょうか。 そしてその“生き方”は、現場に縛られていてはいけない、と。 ○原始時代の話 「原始時代、集団は不必要になった個を切り捨てていた。それは、現代におけるリストラなども同じ。 つまり、切り捨てられない為には“生き方”及び“智恵”が必要。 そして、その“智恵”を身に付けるには、一度集団から思考を切り離した“本能的思考”が重要である。 アニメ業界においては、働き口や労働条件などの、小さい事に縛られない考え方。自分にとって必要な物を考える。」 ここで話は飛躍し、原始時代のお話に。と言っても、前の話を踏まえた内容。 原始時代の話は、さらに続き。 「農耕をする民族は、動かずに畑を耕す。つまり、畑を守る為に縄張り意識が強い。 狩をする民族は、獲物を求めて動く。つまり、移動するので固執した縄張り意識が無い。 もしも、畑で物が採れなくなったら、食べていけなくなる。潮流の変化に対応出来ない。 つまるところ、一つの場所でしか通用しない“智恵”では、業界では生きていけなくなる。 業界でモノを作りたいなら、“イメージでモノを見る”。どんなものでも利用する“智恵”が必要。」 監督がその“智恵”の具体例として上げていた手段は、プロデューサーに絵コンテの締め切りを待ってもらうだったのですが(笑)、 (具体的な内容についてはここでは伏せます) 業界および現場において、必要な“智恵”についてというのは、目から鱗が落ちる思い。 今までどういう作品を作りたいとか、どういう話が面白いとか、そいうことは考えていたのですが、 それ以上に重要なことなのかもしれません。 ○質疑応答 と、概ねこの辺りで、幾原監督のお話は終了。質疑応答の時間となりました。 折角の機会と言う事で、僕から質問をしてみることに。 僕の質問: 「幾原監督の作品、『少女革命ウテナ』は、お話の解釈を受け手である視聴者に任せたストーリーだったように思えました。 しかし、それでいて有無を言わせぬ説得力が有ったようにも思われました。 どうしたらそのようなストーリーに説得力をもたせられるのでしょうか?」 幾原監督の答え: 「その手段、手法については良く憶えてないけれど、あの当時他人の原作で作品を作るのはしたくなかった。面白くなかった。 いっそ、ゴールデンタイムでヘンテコな作品が作りたかった。(アンダーグラウンド演劇の寺山修司とか) そして、『少女革命ウテナ』はあの当時の、あのタイミングでやるのに適した作風だった。 今はもう出来ないし、沢山溢れているアニメを、今は作りたくない。」 残念ながら、『ウテナ』における説得力に関する答えは頂けませんでした。 もしかしたら、はぐらかされてしまったのかもしれません(笑) 他にあった質問としては、 質問: 「東映に入社したいと思っているのですが、東映時代の話をしていただませんか?」 幾原監督の答え: 「東映に入ることが、目的にはなってないか。東映に入ることは、アニメ業界に入る手段でしかない。 そのことを、キチンと考えてないと、投影に入ってからが何をしていいかが分からなくなる。 東映を辞めたことについて話しをすると、当時“東映の演出”という肩書きがウザかった。 “幾原邦彦”という個人の名前で仕事がしたかった。会社ではなく、個人と仕事がしたい。 当時珍しかった髪を染めているのも、他人に名前を覚えて欲しいから。 アニメや漫画の仕事に固執していない。“幾原”という個人で仕事をしたい。」
といった辺りで、講演は終了。
予想していた内容とは、全然違う講演でしたが、非常に楽しく興味深い話を聞く事が出来ました。
どこかのインタビューで「今後アニメはあまり撮るつもりはない」と、監督が言っていた理由が分かった気がします。
幾原監督。講演に来て頂き、大変有り難う御座いました。